2014年8月15日金曜日

ブルキナファソという国

イーベヨーゴ!(モレ語でおはようの意味。)

今日は、改めてブルキナファソの紹介をしたいと思います。

ブルキナファソは西アフリカに位置する共和制国家。まわりをマリ、ニジェール、ベナン、トーゴ、ガーナ、コートジボワールといった国に囲まれています。内陸国なので海はありません。面積は274,200平方キロメートル(日本の70%くらい)で、人口1750万人(日本10分の一)が住んでいます。


フランス語も現地語も

1960年にフランスから独立しました。なので、公用語はフランス語で小学校から授業ではフランス語が使われます。とはいえ、村の多くの人は、国内に65あると言われている民族それぞれの現地語を話します。
多民族国家ならではで、フランス語も、英語も、モレ語も、ドゥラ語も話せる!というバイルンガル?もたくさんいます。

日本の生徒より積極的に発言します。


ゆるーい宗教観

宗教は伝統的宗教57%、イスラム教31%、キリスト教12%です。
宗教は結構ゆるい感じで、旦那さんがイスラム教で、奥さんがキリスト教、子どもはそれぞれ好きな宗教を選んでることもよくあります。引っ越したらキリスト教が多かったから、キリスト教になったとか、イスラム教徒なのに、お酒は飲むし、ラマダン(断食)しないし、お祈りもしない、なんていゆう人もたくさんいます。キリスト教徒のお祭りにイスラム教徒が招待されることも普通です。
このゆるーい感じは、宗教にあまり馴染みのない日本人にとっても居心地がいいものです。

村の教会。お祭りの日に取った写真。

国民の90%は農業

粟(あわ)、トウモロコシ、綿花などが主な生産物です。
今は雨季なので学校も休みです。このシーズンブルキナベ達は家族総出で畑に出かけ、朝から晩まで働いています。

家のまわりが雨季になると畑になります。使えるとこはどこでも使っている感じ。

世界で8番目に貧しい国

他のアフリカ諸国のように鉱物等の資源にも恵まれないうえに基幹産業である農業の生産性も低いため、一人当たりGDPは550ドル、国連機関ひとつ、UNDPのの出している人間開発指数でいうと全世界188カ国中181番目となっています。(人間開発指数とは、その国の国民の生活状況を示す数値です。)簡単に言うと世界で8番目に貧しい国です。
GDPから単純計算すると平均的なブルキナベは月約4000円で生活していることになります。

私の住む村、カルクルゲン!

識字率は下から4番目

識字率というのは、文字を読んだり書いたりして理解できる人たちの割合ですが、ブルキナファソは世界でも下から4番目28.7%です。つまり、文字を読んだり書いたりできるのは、3人に1人もいない計算になります。



こうやって、概要を書いてしまうと、ブルキナファソは貧しくて大変な国なんだ、と思われるかもしれません。もちろんそれも事実です。日本より大変なことがたくさんあります。

でも「貧しいから不幸せなのか?」と言われたら。絶対にそうではありません。

何というか、ブルキナファソはすごく素敵な国です。
色でいうとだいだい色(オレンジではない)。
人が温かくて、穏やかで、愉快で、のんびりしていて、おちゃめで、笑いの沸点が低く、治安もいいです。日本も大好きですが、ブルキナファソだったら、永住だってできそうなくらいです。

言葉で表すとなんだか違ってきてしますが、このブログを通して、少しづつ、お伝えしていきます!

それでは、ニンダーレ!(モレ語でまた次回の意味)

2014年8月9日土曜日

カウンターパートの異動と同期の帰国


新しい医局長が配属されて、トップダウンの大きな人事異動があって、最終的に今日の話し合いで、半年間お世話になってきたカウンターパート(受け入れ担当みたいな人)が変わりました。

(ブログにはあんまり書いてないですが、私は病院で働いています。)

いつものオフィス。一番右が私の定位置。奥にいるのがカウンターパート。

突然の決定で、私がショックを受けている中、
「カウンターパートではなくなったけど、君が困った時はいつでも助けるから。君の任期が終わるまで、僕が責任を持って面倒を見るからね。」
と話してくれました。

特に何か悪いことをしたとか働かないとかそんなわけではなく、政治的な理由での変更です。
カウンターパートは病院内では結構な偉い人だったのですが、役職も降ろされ、多分お給料も減って、これまで病院から貸与されていたバイクやパソコンも使えなくなりました。

自分が一番大変な状況だろうに、そんなことを言ってくれる彼の優しさに感動して、ホロリ涙。

でも、だからこそ頑張ろうと決意を新たにした一日でもあります。




先日、同期同任地隊員も帰国して、村で1人の日本人となりました。
伝説のカーズ隊員、ゆげちゃん、本当にお疲れさまでした。

隊員一狭くて過酷といわれるカーズ(わら葺き屋根の家)に住んでいた短期隊員


私たち3人は後17か月、がんばるよー!

同期4人で2539の人文字。いい大人が楽しそうでしょう。平成25年度3次隊&9次隊の意味。

2014年8月2日土曜日

自分と向き合うということ(作文風)


ブルキナファソにいると、自分の心と向き合うことが多くなる気がします。

子どもが書いてくれた私の似顔絵
日本にいれば、大抵お手本となる行動や思想があるので、特別なことでない限り、他の日本人の90%が正しい、普通と感じることは私にとっても正しいことで、普通のことです。

それがこっちに来ると、日本では普通だと思っていたことがこっちでは失礼にあたったり、逆にブルキナでは当たり前にされていることが自分にとってすごくストレスだったりします。
そんな時は、こちらの文化を良く見て、考えて、よく想像して、自分に恥ずかしくない行動をとるようにしています。

例えば、ブルキナファソの人びとは、よく物をねだります。「その服とても素敵ね。私にもちょうだい。」とか、市場で何か買ってきた袋を見つけると袋を覗いて、「何を買ったの?私にはないの?」屋台でコーラを飲んでいると、「おごってくれる?」旅行から帰ると、「お土産買ってきた?」というような具合です。

会うと飴ちょうだいと言ってくる子どもたち


最初は日本人でお金を持っているから言われているのかと思いとても不快に感じて、「何であなたに買わなきゃいけないの ?」とムカっとしながら言い返したりしていました。でも、よく観察してみるとブルキナベ同士でも頻繁に同じような会話が行われていることに気づきました。

日本では物をねだることは恥ずかしいこととされていますが、ブルキナファソでは物をねだることも、物をねだられることも自然な行為であって、コミュニケーションの一種のようです。

最近では私のほうから「その服素敵ね。私にも買ってきて。」「そのお菓子おいしそうね。私にもちょうだい。」というように反逆??するようになりました。

そして、驚くのは、私よりも明らかに貧しいと思われる若い女の子が、本当にお菓子をくれたり、一緒に飲んでいたおじちゃんがコーラをおごってくれたり、近所のお兄さんがお土産を買ってきてくれたりするのです。

そんな時は自分はなんてケチなんだ、という気分になります。

他にも、ブルキナの文化には『みんなの物は自分の物』みたいな文化があって、例えば、お金がない親戚の子どもを引き取って当たり前のように育てていたり、夕食時に訪問すると必ずご飯をご馳走してくれたりします。

とはいえ、日本人からすれば?度が過ぎることは多くあって、私の庭でいつの間にか、近所の人のアリコ(大豆)が栽培されはじめたり、玄関にあるコンセントを知らない人が勝手に使っていたり、冷蔵庫を勝手に開けられたり、子どもが塀を乗り越えて敷地内に入ってきたり(これは別か。)異文化に慣れるのには相当な時間がかかりそうです。
そして、自分もブルキナベのようになりきるにはとてもストレスがかかります。

怒りたい時は怒る!


やっぱり私は日本人なので、嫌な時は嫌と断りながら、時に怒りながら、時に我慢しながら、時にブルキナベっぽく振る舞いつつ、生活しています。
基準は日本でもブルキナでもなく自分。色んな人の話を良く聞いて、良く見て、考えて、自分に恥ずかしくないように行動しよう、と戒めています。

最近嬉しいな、と思うことは、「この人のこんな所が嫌い」と思えるようになったことです。
最初は、「助けるべき貧しいアフリカ人」だった人たちが、ちょっとおしつけがましいけど色々面倒見てくれるおばちゃん、忙しいとすぐ機嫌が悪くなるけどいつも一緒に活動してくれるカウンターパート、いつも私がご飯を奢らなきゃいけないけど村中を連れまわしてくれる近所の子、女好きでよくサボルけど愛嬌があって憎めないガルディアンとか、いいとこもあるし、悪いとこもある私の大切な人たちになってきています。

旅をしている時は、長くそこにいることができなかったので、ちょっとしたことで「この人はいい人」「この人は悪い人」という判断になっていました。
だから、こうやって一人一人と深く関われるのって、異文化のその土地に住む醍醐味だなぁと思います。
あと1年半弱、もっと色んなことが見えて、愉快な仲間をたくさん増やしたいです。

私と近所の愉快な子どもたち